ある家庭の兄妹の話をしよう。
この家庭は少し特殊だ。ドラゴンの父親、人間の母親、そして子供が男女一人ずつ。子供はもちろんハーフである。
この世界は天と地で分かたれている。接続点と呼ばれる転送装置があり、行き来は可能だ。天界に住まうドラゴン、そして地上に住まう人間。もちろん婚姻関係は可能だ。なんの問題もない。しかし、この両親、特に父親には大きな問題があった。
「霊力が……ない?」
栗色の髪の母親は自分の胸に抱いている子供を見る。生まれたばかりの自分の息子は同じ栗色の髪。すやすやと眠っている。
「ええ……たぶんあなたのペナルティが赤ちゃんにも影響してしまったんだと思うわ」
夫婦の前に座っているのは老婦人。彼女は人間ではあるが、天界の住民のための診療所を開いている医師だった。
「……俺の、せいですか」
そう言ってうつむいたのは父親だった。燃えるような紅いゆるく癖のある髪、ほとんど目立たないが少し長く尖った耳は彼が人間ではないことを示していた。
「生きていく上ではなんの問題もないから大丈夫よ。ただ……成長して、彼が他の子達と違うことに気づいたときに……道を踏み外さないように注意して?」
子供は人外と人間のハーフだ。人外の血が濃く受け継がれることが多いこの世界でハーフでありながら霊力を一切持っていない。この事が意味すること、それは――他のハーフの子供たちと自らを比較してしまう劣等感だ。
「わかりました。私たちがこの子の道を守ります」
しかし、家庭の崩壊は意外なかたちで訪れる。
家族が一人増え、幸せに思えた家庭。しかし、生まれた娘は病弱だった。
大人になるまで生きていけないと言われた娘。母親はそうはさせまいと献身的に看病をし、父親は働く。
1人、あまり手をかけてもらえない状況で、先に生まれた息子は何を思う。
そしてあるとき、息子は聞いてしまう。
「あの子は……まだ、霊力の制御ができないから、あんなことになってるんだと思うんです……魔力なら、まだ私でもどうにかできるけど……霊力じゃ私にはどうしてあげることもできない……」
「……俺はまだ、制限がかかっています……こうなるなら……いっそのこと、ずっと制限してくれれば良かったのに……!レオンのように……霊力が遺伝しなければ良かったのに……!」
(……僕?僕の霊力……?遺伝……?……まさか)
彼――レオンは気づいてしまった。病弱な妹には霊力があると聞いている。具合が悪いのはそのせいだとも。妹は霊力の制御ができない。自分がずっと、ずっと求めていたものを妹は持っている。なのに、ろくに使いこなせない。
「……!!!」
頭のなかは真っ黒な感情でいっぱいになった。この、ぐちゃぐちゃした醜い感情はなんなのか。悔しい。なんで僕じゃない。僕だけ、なにもできない。あいつが……妹が……僕が欲しいものをすべて持っていった……!持っていかれてしまった……!!
レオンの足は勝手に妹の部屋に向かっていた。
二歳年下の妹は父親と同じ紅い髪。今は落ち着いているようで、ベッドで眠っている。
レオンは妹の上に馬乗りになった。妹はすぐに目を覚ます。
「……おにい、ちゃん……??」
妹はすぐに異変を感じた。兄は見たこともない表情で自分の上に乗っている。怖い。すぐにそう思った。
兄の手は妹の首に伸びてくる。細い首。ぎゅっと力を加えられ、妹は兄の手をどけようともがいた。
「おにい、ちゃん……!痛い……!やめて……!」
「う……うう……、なんで……なんでだよ……!!なんで、なんでお前が……!!!」
兄の手にさらに力が加わる。妹は見た。兄の表情を。兄は泣いている。兄はなにかに苦しんでいる。
「お前が!!お前が全部持ってっちゃったんだ……!!返せ!!返せよ!!!」
息ができない。そうか。兄は自分を殺そうとしている。妹は気づいた。
妹はもがくのをやめた。兄は自分を殺してくれる。そうすれば、両親が自分のことで気を病むこともない。兄が苦しむこともない。……自分がずっと苦しみながら生きていく必要もない。
「レオンっ!!!?」
「ルニッ!!!」
両親が部屋に入ってきた。父親が兄を引き剥がし、母親が妹に駆け寄る。
「けほっ、けほっ」
息ができる。両親が助けに来てくれたことに安堵してしまった妹は、やはり自分は死にたくなかったんだと気づいた。
「ごめんねルニ……苦しかったでしょう……」
「お兄ちゃん……変だった……ルニが……全部持ってっちゃったんだって……」
「……」
母親は少しの間黙った。妹には母親の浮かべている表情を理解することはできない。母親はきっと兄のことを考えている。
「お母さん……お兄ちゃんのとこ……行ってあげて……ルニは……大丈夫だから……」
「うん、ありがとう、ルニ。具合が悪くなったらすぐに誰かを呼ぶんだよ」
「わかってるよ、大丈夫」
いつも通りの返事をして、母親を見送る。いつもと違う兄の様子に少しだけ不安を覚えながら。
父親に引き剥がされ、別室に連れ出されたレオン。しばらく興奮状態でじたばたと暴れていたが、やがて、自分の犯したことに気づく。
「……父さん……、僕……ルニを……殺そうとしたんだ……!ルニが……僕の待ってないものを持ってるから……悔しくて、なのに……ルニは……っ!」
「……レオンは、父さんたちの話を聞いたんだな?」
「……」
聞いてはいけない話なのはわかっていた。だから、両親は子供たちが眠っている時間を見計らって話していたのだろう。それをわかっていて聞いてしまったのは他でもない。自分自身だ。勝手に聞いて、勝手に逆上して、妹を殺そうとした。自分はバカだ。
「……レオン、ごめん……」
父親は謝った。突然のことにレオンは理解できなかった。
「……どうして、なんで父さんが謝るんだよ……!ルニを殺そうとしたのは僕だ!悪いことをしたのは僕なんだ!!」
「レオンに霊力がないのは……俺のせいだ」
「え……?」
「俺は昔、罪を犯した。その罰で霊力を制限されていた。徐々に制限は解除されてはいるけど、今も少し影響が残っている」
「……よく、わからない」
本当に、レオンには父親の言っている意味が理解できなかった。衝撃的すぎた。父親は昔、罪を犯している……?
「俺は母さんが好きだ。離れたくないと思った。だから、制限を受け入れて地上で暮らすことにした。でも、それが……レオンの能力に影響を与えてしまった」
自分の父親が人間ではないことは知っていた。ただ、本来の姿が何者なのか、どういった見た目なのかは知らない。
「じゃあ……どうしてルニには霊力があるんだ……制限されてるなら、どうして……」
「少しずつ制限は解除されてる。ルニには影響が出てないんだ。いや、むしろ……」
父親はその先の言葉は言わなかった。そしてレオンもその言葉の先は察していた。
自分にいかなかった分の霊力がすべて、妹に渡っている。そうとしか考えられない。
「……僕は……ルニのことが嫌いな訳じゃない……でも、たまに……とても辛いときがあるんだ。ルニはベッドの上から動けない。……首を絞めたとき……僕はルニの上に乗った。細くて、折れちゃいそうだった……でも、あのときは……本当に殺すつもりで襲いかかった……僕は……これからどうやってルニに接していけばいい?ルニは……僕のことを許してくれる……??」
「それは……」
そのときだった。母親の悲痛な叫び。
「ルニっ……!?しっかりして……!!」
体調が急変したことは明らかだった。
二人で一緒に急いで部屋に向かう。妹は真っ青な顔色で苦しげに呼吸している。
「ミリアさん呼びます……!」
「ダメ!おばあさん……、今体調崩してる……!」
レオンは知っていた。妹の主治医はおばあさんだ。最近見ないと思っていたが……体調が悪かったのか。
「僕の……僕のせいで……ルニが……!!」
「ちがう!レオンのせいじゃない!!」
母親に怒鳴られた。驚いていると、父親が妹を抱いて、どこかに向かおうとしていた。
「……あの人に頼みます。彼は優秀ですから、何とかしてくれるはずです」
「わ、わかりました!私、連絡しときますから、ビオールさんは行って!!」
「レニィさん、お願いしますっ!」
父親は妹を抱いて家を出た。父親の姿は人の姿ではなかった。大きな……あれは……、ドラゴンだ。
母親はどこかに電話をかけている。
レオンは1人。妹の苦しげな顔が脳裏に焼き付いている。
(僕のせいだ……僕が……ルニを殺そうとしたから……ルニの具合が悪くなっちゃったんだ……)
電話は終わらない。そう長い時間話している訳じゃないはずなのに、早く終われ、1人にしないでと、願わずにはいられなかった。
電話が終わったあと、母親はレオンを抱き締めてくれた。
「レオンごめんね……私、レオンが自分の能力で悩んでたのに、気づいてあげられなくて……」
「どうして……父さんも、母さんも謝るの……?悪いことしたのは……僕だよ……?」
「……そうだね、確かにレオンはやっちゃいけないことをした。でも、母さんたちが来なかったとして、レオンはあのままルニの首を絞めてたと思う?」
「……思わない」
「どうして?」
「ルニが……なんか……諦めたみたいになったんだ。僕は……大変なことをしちゃったんだって……気づいたんだ」
「……自分で気づけたでしょう?だからレオンはもう絶対、同じことはしないはずだよ」
母親は息子を抱き締める腕を緩めた。
「ねえ、母さん……ルニは……どうなっちゃうの……?」
「……レオンはもう知ってるんだよね、ルニの病気の理由……」
「理由?」
「ルニは体が耐えられないほどの霊力を持ってるの。ルニの体は大人になるまで持たないと言われてる……」
「……そんな!?」
レオンはショックだった。確かに自分自身の持っていない霊力を持つ妹を殺そうとした。でも……そんなことは知らなかった。
「だから、体に負担がかからないところに連れていったの。そこで時間を掛けて、体を治してもらうの」
「ルニは……大丈夫なの……?」
妹を殺そうとした自分がこんなことを思うのはおかしいかもしれない。でも、彼は思っていた。妹と一緒に生きていたい。
「体力が保てば……」
母親の呟きは祈るようで、それは万が一の可能性がないとも限らないことを示していた。
「……僕は……まだ謝ってない……ルニに……謝らなきゃ……いけないんだ……」
俯くレオンの頭を母親は撫でた。
「……大丈夫、ルニにはお父さんがついてる……そしてレオンにはお母さんが……。信じて待ってよう」
母親の言葉はレオンに勇気をくれた。彼はうなずく。
数時間経っても父親からはなんの音沙汰もなかった。よいことなのか、悪いことなのか、レオンにはわからない。
そのとき、電話が鳴った。母親はワンコールで電話に出る。
「もしもし?……ビオールさん」
母親の安堵した声。彼はぼんやりと、両親は二人きりの時は名前で呼びあっているんだろうと、思っていた。
「……良かった……。ビオールさんも無理しないで帰ってきてね……え?……うん、わかった。休んでから帰ってきて」
母親は電話を切った。
「レオン、ルニは無事だって」
「本当に……?良かった……!……父さんは……?」
「疲れちゃったみたいだから少し休んでから帰るって」
「ルニは……帰ってこないんでしょ……」
「……うん、そうだね。……お父さんが帰ってきたら、いろいろお話聞こうか」
レオンは父親が早く帰ってこないかとずっと待っていた。でも、まだ帰ってこない。不安な時間が続く。一刻も早く帰ってきてほしいと、彼は思っていた。
父親は、姿を変えて妹を優しく抱く。
意識の朦朧としている妹は夢うつつで父親のぬくもりを感じていた。
(お父さん……大きくて……あったかい……)
父親が人ならざる姿をしていることは気にもとめていない。ただ、苦しくて、死んでしまいそうなときでも、その腕に抱かれているだけで、心強かった。
「オーーーイ!こっちだ!!」
父親は天界の知り合いのところにやって来ていた。
腕に抱いた娘は眠っている。意識を失っているわけではないようで、少し安心した。
茶髪の男3人に誘導され、人ならざる姿のまま着陸した。白衣を着た茶髪の男に娘を預ける。
「うへー、けっこうやばいなー。まあ、安心してよ、悪いようにはしないからさ」
娘を抱いた茶髪の男は建物の中に消える。
父親は姿を人のそれに変えてそのまま倒れた。
「おわっ!あんた、大丈夫かよ?」
「大丈夫なわけ……ないじゃないですか……10年……ぶりなんですよ……しんどい……」
「お前、ちゃんと父親してるんだな」
「髪の色あんただけど顔はレニィちゃんに似てんのな」
倒れている父親に残っている二人の男は次々声をかける。
「とりあえず、少し休んだらお前の娘、見に行くぞ」
落ち着いたところで、立ち上がる。
「行くんでしょう?案内してください」
「ああ、こっちだ」
妹ーールニが目を覚ますと見知らぬ天井が目に入った。今は苦しくないみたいだ。
「あ、目が覚めた?」
声をかけられた。驚いてそちらを見ると、白衣を着た茶髪の男が椅子に座っている。ベッドの横にある画面を操作しているらしい。
「おにいさんだれ?」
尋ねると、体ごとくるりと彼女の方向に向きを変えた。
「うーん、あ、そうだな。僕は君のこっちの主治医だよ」
「しゅじい?」
「かかりつけのお医者さん」
「なんで?ルニのお医者さんはおばあちゃんだよ?」
「うーん、さっきまで寝てたもんな、わかんないよね。君はね、今天界にいるんだ」
「なんで?」
彼女には全く意味がわからない。これは質問攻めするしかないと思っていた。
「具合悪かったでしょ?」
「うん」
「今は?」
「あれ?苦しくないや」
「でしょう?それはね、君の体が天界に合ってるから」
「よくわかんない」
「君のお父さんの出身地は天界だ。それはわかる?」
父親は天界出身……そんなの知らなかった。
「わかんない」
「……困ったな」
「お父さん天界の人なの?天界の人は霊力があるっておばあちゃんが言ってた。ルニにもあるんだって。たくさん」
「お?話通じそうだな?そうなんだ。君のお父さんは天界の人なの。それで、君には霊力がある。それと、お母さんが魔術師系の家系だ。だから魔力もある。そこまではわかるね?」
ルニはうなずく。でも、彼女はこの力が嫌いだった。この力のせいで、すぐに苦しくなって動けなくなってしまう。
「……ルニ、魔力も霊力も、嫌い」
「だろうな。君の体は二つの力を受け入れられるほど、頑丈に育ちきってない。あのまま地上で暮らしていたら、君は死んでた」
「えっ!」
「でも安心しなさい!僕が君に地上でも暮らせるように霊力の制御方法を教えてあげる!まあ、その前に削られた生命力回復しないとね」
「どういうこと?」
「君の持っている力は大きい。それが君の小さな体いっぱいに詰まってたんだ。だから、何かのきっかけで君の体を傷つける。それが蓄積されると最終的に死んじゃうんだ」
「……やだよ、ルニ死にたくない……」
「大丈夫だよ。僕が君の主治医なんだぜ?死なせるわけないじゃない」
とても自信ありげに医者は言う。
「ただ、しばらくは家に帰れない。だから、家族とは離ればなれだ」
「……さみしいよ、お父さんも、お母さんも……お兄ちゃんもいない……」
「……そのお兄ちゃんさ、霊力全然ないでしょ?」
「???」
突然医者に訪ねられた。
(お前が!!お前が全部持ってっちゃったんだ……!!返せ!!返せよ!!!)
「……!!」
「ん?どうした?」
彼女は気づいた。自分が嫌いなこの力を兄は持っていない。そして兄は……この力が欲しかったんだ。
「お兄ちゃん……ルニのこと、殺そうとしたの……首、しめた……」
「あー、今回の発作はそのせいか。……お兄ちゃんのこと嫌いになった?」
「そんなことないよ!!!……お兄ちゃん、たぶん、ルニのことがずるかったんだと思う……ルニ、魔力も霊力もちゃんと使えないから……」
「じゃあ、お兄ちゃんのためにも制御方法覚えような!」
医者はルニの頭を撫でる。父親とも、母親とも、そして兄とも違う優しさを彼女は感じていた。
父親が案内された部屋には医者がいた。娘と雑談している。
「ルニ……!」
元気そうな娘の姿にホッとする父。
「あ、きたね。娘ちゃんの状態について説明するからちょっと来て」
そう言って医者は立ち上がった。
「お父さん、ルニ、お兄ちゃんのためにも頑張るよ!」
「レオンのため……?」
「その話も一緒に説明しといてあげるから、ちょっと待っててな」
「うん!」
別室に連れてこられた父親は、緊張と不安の入り交じった面持ちで椅子に座った。
「別に深刻な話じゃないから大丈夫だよ?」
「え、あ、はあ……」
「まず一言。なぜもっと早く連れてこない。一通り検査したけど、君の娘の体、君にかなり近いよ?大体ドラゴンの体だ。とはいえ、姿を変えることまではできないけど。……まあ、つれてこられなかった大方の予想はついてるっていうか原因は君だろうけど」
「……そうです、俺が許可なく天界に行くの禁止されてるから……」
「今回無許可だろ」
「うっ……でも連絡はレニィさんから……」
「まあ、そこはもういいよ。君の娘の体、だいぶ蝕まれてたよ。あのまま地上にいたら5年も保たなかった。このタイミングでつれてきたのはいい判断だったと思うよ。あと……聞いた。息子くん、娘ちゃんのこと殺そうとしたって」
娘は、ここに来る前に起こった出来事を話したのか……。父親はすぐにそう思った。
「……だから、レオンのためって……」
「帰ったら、息子くんのことなぐさめてやれよ。今回のこと責任に感じてると思うから」
「……はい」
「で、だ。今後の方針。まず、だいぶダメージを受けてる体内、特に呼吸器系ね、先に治療します。生命力も削られてるけど、これは治療してどうにかなるもんじゃないから。削られる原因がなきゃ徐々に回復はしてくし。そこは気にせず」
発作が起きるとき、決まってうまく呼吸ができず、苦しんでいた。それは呼吸器系にダメージを受けていたせいだったのか。
「体力も回復して、動けるようになったら霊力の制御方法を教えます。君が教えるのが致命的に下手くそなのはゴールドドラゴンで実証済みだから、ここは僕がやる」
「うっ……」
「まあ、長期計画だね。治療にそんなに時間かからないとしても生命力少なくなってるからそのぶん体力の回復は遅いだろうし、ほとんど寝たきりで生活してただろうから運動能力も衰えてるだろう。補助なしで動けるようになるのが、一番近い目標かな。ちなみに、娘ちゃんどの程度動ける?」
「掴まり歩きで家の中は動けます」
「てことは、逆を言えばなにかに掴まってないと立ってられないんだな。思ったよりは動けるな、良かった」
医者はうなずいて、いつのまにか持っていたノートになにか書いていた。
「はい、とりあえず説明終わり。なにか聞いておくことある?」
「長いと言うとどのくらい……?」
「最低でも1年は必要だな。まあ、娘ちゃんやる気あるみたいだから僕はあの子が満足するまで付き合ってあげるけどね」
「……ありがとうございます」
「はいっ!じゃあ君は娘ちゃんに一時の別れをして帰る!レニィちゃんと息子くんにちゃんと報告してくること!」
無理矢理立ち上がらせられ、背中を押された状態で部屋を出た。
すると、廊下に娘が倒れていた。
「娘ちゃん……!!」
「ルニ!!?」
近付くと、娘は突っ伏したまましくしく泣いている。父親は急いで娘を抱き抱えた。
「どうした?痛いところがあるのか?それとも苦しい?」
娘は首を横に振る。
「……さみしいよ……ルニ……一人になっちゃう……お父さん……帰っちゃうんでしょ……??」
「なんだ、そういうことか。大丈夫だよ。会えないのはお父さんだけだよ」
医者は娘の顔を覗き込む。涙で顔をくしゃくしゃにしているのを見て、少し説明を付け加えた。
「うーん、まあ、なかなか会えなくなっちゃうのは君のためだからしょうがないんだけどね、お父さんは怒られるから来られないけど、お母さんとお兄ちゃんは来られるよ」
「どうしてお父さんは来ちゃダメなの……??なんで怒られるの……?」
「それは大きくなったらお父さんに直接聞けばいい。どうせ今聞いても教えてくれないだろうから。でしょ?」
「……ごめんな、ルニがうちに戻ってきたら教えてあげるから……」
父親は娘の頭を撫でる。
「うっ……うっ……お父さん……行かないで……」
泣きじゃくる娘は離れない。
「行かないで……さみしいよ……」
「……怒られるの僕なんだけどな……、種族長にはすぐ帰らせるって約束してるんだ」
「……おにいさん、困る?」
医者のつぶやきを聞いた娘は顔をあげた。
「う?……う、うん!とても困る!僕の上司怖いからさー!僕も君みたく泣きたくなっちゃう!」
「……じゃあ、がまんする」
娘はごしごしと涙をぬぐった。父としては、なんとなく複雑な気持ちになっている。
「……お嫁にくださいとか言わないでくださいよ」
「えー言わないよ。だって年の差……いや、君らよりは離れてないのか。でも言わないよ。君が怖いもん」
泣き止みはしたが、まだ娘は父から離れようとしない。
「……お父さん、ルニのこと、忘れないでね」
「うん、忘れないよ。家帰ってもずっとルニのこと考えてる」
「お母さんとお兄ちゃんに……会いに来てって言ってね」
「うん、ちゃんと伝えとくよ」
「お父さん……」
父の胸に顔を埋め、しばらくしがみついている娘。やがて、顔をあげた。
「ルニ、もう泣かないよ。頑張ってお部屋まで歩く」
「いいの?お部屋までお父さんが連れていくけど」
「うん、いいの。ずっとお父さんにだっこしてもらってたら、また帰ってほしくなくなっちゃう」
父は娘をおろす。ぺしゃっと転んだものの、すぐに壁を支えに立ち上がった。
「今度……今度お父さんに会うときは、ルニちゃんと歩けるようにするから!!」
目に溢れんばかりの涙をためて、でも、堪えながら、娘はそこまで言い切った。
「うん……、うん……!!」
「ほら、こう言ってることだし早く帰りなよ」
空気を読まない医者の言葉は無視し、父は娘を最後に一度強く抱いて、帰っていった。
「お父さん……帰っちゃった……うっ……お父さん……」
ルニはなんとか自力で部屋に戻って来た。戻ってきた途端に一人になってしまった現実が襲いかかってくる。
父は簡単には自分に会いに来られない。その事実が彼女を辛くさせていた。
「そんなにお父さんに会いたいなら、君が頑張ればいいんだよ」
医者は何気なく言っただけだった。でも、彼女に勇気を与えるには十分すぎる言葉だった。
