十分後、翼は不服そうな顔をしてベッドに座っていた。
「山下くんったら! 何でいきなり逃げ出そうとするの? ビックリしたわよ。警察? それとも、病院独特の空気?」
「わからない。でも、本能的に……」
「本能、ねえ。それは若いからかしらね? じゃあもう一回呼んでくるから、今度は逃げないでね」
看護師が部屋を出るのと入れ違いに警察官らしい人物が二人入ってきた。
「さて、山下くん。いきなりなんだけど、三日前のことを教えてくれるかな?」
刑事であろう人物はいきなり本題に入った。
「……って、いきなりかよ! ……それ以前に、ほんとに警察なんすか?」
不審に思った翼は疑いの目で刑事(仮)を見つめた。
「こらっ、神宮! 山下くんが困ってるだろう。我々はこういうものです」
二人のうちの年配の方、おそらく父親と同年代くらいの刑事はすぐに警察手帳を出した。
「秋山といいます。こちらは神宮」
「神宮です。実は刑事課に配属されたばかりで……初仕事なんだ」
神宮と呼ばれたまだ若い刑事もすぐに警察手帳を出す。
「はあ……」
「すまないね、さっき本人がいった通り初仕事なんだ。ちょっと空回りしてるけど、気にしないで欲しい」
貫禄のある秋山の言葉に翼は頷いた。
「で、山下くん。三日前、ケンカとかしなかったかい?」
翼が頷いたのを見るなり、神宮がさっと口を挟む。
秋山は少しあきれたような表情をして黙った。
「ケンカ!? んなことして……ません? っていうかわかりません……」
「えっ? わからないってどういうこと?」
「どうもこうも……どうやら三日前の記憶だけが飛んでるみたいなんです」
「じゃあ……それより前は? 家族構成が思い出せない……とかはないの?」
「ないですね。俺は両親と妹がいますけど、両親ともアメリカで仕事してますし、妹と一緒に住んでますけど、その妹は先週から両親のところにいっててあと一ヶ月くらい帰ってこないんじゃないですかね」
「あ……そうなの? 妙に詳しく説明したねえ。と、いうことはほかの記憶はあるんだね」
「はい。もうばっちりと」
「そうか……じゃあ事件のことは覚えていないんだね」
「じけん??」
翼の疑問には秋山が答えてくれた。
「君は刺されているからね。これは立派な傷害事件だ。なにか手がかりがあればと思ったんだけど……」
「……すいません、お役に立てなくて」
「いや、いいんだ。でも、なにか思い出したら連絡して欲しい」
秋山と神宮は連絡先を置いて帰っていった。
「……はあ、結局あの日に何があったかわかんねえんだよな……」
翼は一人でボソリと呟くと連絡先のメモと鞄を持って立ち上がった。
(やっぱ、こっそり行くのがいけないんだな。だったら堂々勝負でしょ)
何事もなかったかのように部屋を出てエレベーターに乗る。案外気づかれずにロビーまで行けた。
(よっしゃ! 俺ってすげー)
そのまま出口まで歩いていこうとすると後ろからひざカックンされた。
「はうあっ!」
その勢いで床に強かに鼻を打ちつけた。鼻を押さえ、涙目で起きあがると三歳くらいの男の子が立っていた。
(もしかして、思い切り突進してきたのか?)
その子はじーっと翼を見つめている。
「ど、どうした?」
翼は視線に耐えきれなくなって子どもに尋ねた。彼は無言で翼の髪の毛を見つめている。
(ん? 髪の毛……? あ、そういえば)
今更になって頭に包帯が巻かれていることを思いだし、するすると外していった。
すると彼はついに口を開いた。
「お兄ちゃん、あたまのけ、おれんじいろなの? ほんとのけ?」
「うん。ホントの毛だよ」
翼は自分の髪の毛に触れる。オレンジに限りなく近い茶髪なのだが、染めているわけではない。
「あら、まーちゃん。こんなとこにいたの? あなたもごめんなさいね、この子に頭突きとか突進とかされたでしょ?」
上の方から声がかけられた。どうやら彼の母親のようだ。
「あ、いえ、大丈夫です」
「そう、よかった。それにしてもあなたのその毛……染めたのかしら? 綺麗なオレンジ色ね」
「いいえ、これは地毛なんです」
「まあ、珍しいわね! 私もそういう髪の色に生まれたかったわあ……あ! もうこんな時間! まーちゃん、行きましょ。あなたも気をつけて帰ってね。それじゃ」
母親はまーちゃんと手を繋ぎ、翼に手を振って去っていった。翼もまた、病院を後にした。
